インタビュー

念ずれば花ひらく
神奈川県議会議員『米村かずひこ』が生まれるまで

--- 政治家(議員)になった動機(きっかけ)は?

その昔、厚木には「花街」がありました。
私が生まれた昭和45年に最も多い芸妓数を記録し、その数は県下花柳界でも最大でした。
私自身も厚木の花街に生まれ、私の家は芸者置屋と料理屋を営んでいました。
家には、芸者さんや調理師見習い等を含めて10人以上の人が住込みで働いておりました。
その後、十数年で、厚木花柳界はなくなりました。
実家には、近所の方々や政治家等も多く出入りしていました。
置屋のお母さんをしていた私の祖母のもとには、日々、相談ごとに御近所の方が来られていました。
ご近所の方々の相談に乗る姿を見ているうちに政治を身近に感じてもおりました。

「やっちゃん」と呼ばれた知的障害を抱えた店員さん(女性)も住み込みで働いていました。
また、軽度の知的障害を抱えた私の叔母も我が家に住んでおりましたので、私の実家には、2名の知的障害者が働いていました。
家族は皆、仕事で忙しかった中、私は、この知的障害を抱えた叔母にオムツを替えてもらって育ちました。
仕事やボランティアなどで、障害を抱えた方に対して、オムツを替えてあげられる方は沢山居ますが、
「障害者にオムツを替えてもらった経験(しかも何度も)」のある人は、あまり居ません。
私は「障害者就労」に関しては、ここに書ききれないほどのストーリーを抱えていますが、そうした経験がベースにあります。
18歳でニュージーランドへ渡り、少林寺拳法の指導員として働きながら、農場に住込みで働いていました。

帰国後、調理師として働きながら、アジア・アフリカ諸国へ物資を贈ったり、スリランカに学校を建てるなどの活動を精力的に行いました。

そうした流れの中から、ツルネン・マルテイ参議院議員(当時、候補者)の選挙ボランティアとして、活動に深くかかわったことが、直接的に政治家に挑戦しようとしたきっかけです。
29歳で初めて選挙に挑戦しましたが、結果は落選しました。政治の道をあきらめきれず、29歳で大学を受験し、30歳で慶応義塾大学に進学しました。

大学3年時、市議に初当選(厚木市初の学生議員)し、今に至ります。

--- 政治家(議員)として心掛けているところ。

「小さい事柄にこそ、こだわって明らかにすること」
経験上、大きな不正や無駄な支出は、小さな不明点の陰に隠れていることが多くあります。
現場主義。現場に出ることでしか、知り得ないこともあります。

--- 政治家として遣り甲斐を感じることは?

常に弱い立場の方々の想いに寄り添い、課題の解決に向けた取り組みを心がけ、「それでは、どうすればいいのか」と対案を示しています。
首長に対して、対案を示し、実現させることができた時にやりがいを感じます。時には、批判も必要ですし、地域要望を求めることも多くありますが、首長に投げっぱなしではなくて、議員自らが対案を示すことが必要です。
これまでに、「公用封筒の裏に広告を掲載することによって実質無料で公用封筒を調達」することや犬猫殺処分ゼロを実現するために「クレジットカードの活用で寄附の促進」「クレジットカードのポイント(永久不滅ポイント等)」を活用して、寄付を募る仕組みを提案し実現しました。
私は、「批判や要望のみならず、常に対案を出す。必要なら行政への協力者を探し出して連れてくる」をモットーとしています。
私は、黒岩祐治神奈川県知事と林野宏クレディセゾン代表取締役社長を引き合わせ、県とクレディセゾンとの間で覚書を締結するに至りました。

---力を入れている(入れていく)政策は?

医療と福祉、景気対策。
私自身も知的障害を持つ家族がいる中で育ちましたが、障害者福祉は、高齢社会を迎え福祉全体を支える若い世代が少なくなる中にあって、抱える課題もこれからもっともっと大きくなります。「障害者を取り巻く環境の改善と障害者福祉の向上」は議員となる一つの大きな動機でありますし、私のライフワークの一つです。
得意分野は、街づくりと地方自治の政策イノベーション。政策法務の視点で、地方自治政策を語るのが得意です。

---政治家にならなかったら何になりましたか?

実家の料理屋を3代目として、継いでいたと思います。
(現在は、実弟があとを継いでいます。)
スリランカに移り住んで、職業訓練学校を設立・運営したり、ニュージーランドで、そのまま住みついて居たかも知れません。

---有権者(特に若い方達)へのメッセージをお願いします

念ずれば花ひらく タウンニュース「こどもの日特別号」へ寄稿(2016年5月5日)

まっすぐは届く  私の好きな政治家である馬淵澄夫代議士が、好んで引用する詩が、谷川俊太郎の「まっすぐ」です。
 

まっすぐはとどく
まっすぐは貫く
まっすぐは跳ね返る
まっすぐは終わらない

そして、この詩は、

まっすぐを生み出す力は
まっすぐではない
まがりくねり
せめぎあってる

という言葉で終わります。

 私は、世襲の政治家でもなければ、官僚や公務員の出身でもありません。
 それでも「奇をてらわず、愚直に政策課題と向き合う」ことを心がけてきました。政官業癒着の原因となる企業献金を一切受けず、その受け皿となる政治資金パーティーも一度も開かず、政治活動を続けてきました。

可能性は誰にでも
 私のもとには、若い学生が定期的に集まります。選挙の時も学生たちが、主体的に集って、応援してくれます。(定期的に学生が私のもとに集まり勉強会を開催しています。)
 私は「世襲やエリートでなくとも政治家になれる」と「次の世代を担う」若い人材に伝え続けています。自分の伸びしろを自分で固定しないことが大切です。

貫く「雑草魂」
私は高校を卒業し、2年の海外生活を経験しました。
その後、家業を継ぐ為に2年間、伊豆の旅館で修業し、調理師になりました。
 
29歳で初めて選挙に挑戦して落選しました。しかし、政治の道をあきらめきれず、29歳で大学を受験し、30歳で大学に進学しました。
政治家になるためには、必ずしも高校や大学を卒業している必要はありません。
それでも私は、高校卒業から12年遅れて大学へ進学し、政治を一から学び直しました。大学3年時、市議に初当選(厚木市初の学生議員)し、今に至ります。

おくる言葉
「しなやかに、したたかに」「念ずれば花開く」、次世代へ私から贈るメッセージです。一緒に頑張りましょう。